ライジングの「障害者は感動的な人ではないから恐れるな」で、
『Vogue Brazil』のリオ・パラリンピック広告をはじめて知った。
モデルの二人は、ブラジル人なら誰でも知っている有名俳優で、
その分、インパクトは強烈だったらしい。
発案者にその意図があるかどうかはわからないにしろ、
「どんな人でも障害者になる可能性がある」という投げかけが、
画像に宿っているようにも感じた。
逆に、障害者に手足をつけるCG加工をしたら、差別につながる
のではないか、という小林先生の指摘には、まったくその通りだな
と深くうなづいた。
ふりかえってもしょうがないけど、
むかし書いた単行本のことを思い出したので添えておく。
いろいろなお客とのやりとりを面白おかしく書いた一冊だけど、
原稿を書く前の、プロット案のなかに、身体の一部が欠損している
男性の話を入れていた。
対面したときはコートを羽織っていて気付かなかったのだけど、
途中でわかって、驚いた私は、思わず、
「こちらはどうされたんですか?」
と聞いてしまい、すぐに、しまった余計なこと言ったかも・・・と思った。
すると、その人はこう返してきた。
「みんな見て見ぬふりをして、顔をそらしたり、こわばらせたまま無視
したりして変な空気になってしまって、こちらも後ろめたく思うんだよ。
そのまま聞いてくる人、うちの5歳の姪っ子以来だよ、うれしいね」
たまたまうれしいと感じる人で良かった。
ホッとするとともに、5歳並みになにも考えていない自分を恥じ、
しかしそんな風に感じてきた人だったのかとも思い、
そこから、事故の体験を聞いたり、
でも障害者全員が障害に触れられて気楽に感じるとは限らない、
気付かれたくないと思っている人もいるよと教えられたりすることに。
感動的な要素も混在しつつ、真剣に聞き入ってしまう。
ところがその後、男性が、けっこうダメなルール違反に走る。
それで、「いい加減にしてください!」と怒って、それでもダメなので、
すごい勢いでちゃぶ台ひっくり返すような文句を言ってしまうという話だ。
当時の編集者にはこの話はダメだと言われてしまった。
障害者を取り上げること自体、悶着が起きる可能性があるからダメ、
あまりに特殊すぎるし、とにかくダメ、ということだった。
そもそも私の本なんて一冊まるごとあまりに特殊すぎて、悶着起きようが
ないのでは・・・と思ったけど、出版には自主規制があるのだなと知った。
もっとうまく書けばよかったな。